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継続開催が可能となって改めて開催宣言

文学フリマ大阪も三回目となり、この時期に毎年開催という印象も出来上がったと思います。。
 それと機を同じくして「文学フリマ百都市構想」が立ち上がりました。
 四月に金沢で第一回が開催、十月には福岡、来年7月には札幌。近いうちに東北で開催となりそうです。
 「大阪に文学フリマを呼ばなければ」
 と思い、行動した私にとって、各地の人が文学フリマを開催し参加出来る試みはたいへん喜ばしい事であります。
 そして今回、やや後付けになりますが文学フリマ大阪を継続開催していく上で大阪事務局の想いをここに述べておきたいと思います。
 大阪を含む関西圏、上方は文化の発祥地でありました。
 東京から流れてくるばかりの芸術・文化・情報を「上方に取り戻そう」そして「上方から始めよう」という人が多くいらっしゃいます。私が東京のイベントを呼び込むことに反対する方もありました。
 これと同じようにほぼ百年前から「終わり」と言われていた文学を「取り戻そう」という考えもあります。
 その取り戻すとはどの時点を指しているのでしょうか。議論に労力ばかり使って疲れてしまい、創作して「おもろいことをやろう」という気持ちが薄れてしまう可能性があります。「取り戻そう」だけでは、その先の「どうなん」が無く、長続きはしません。
 私は「文化及び芸術は常に流れ、遷り、発展していくものだ」と考えています。
 取り戻すといえば、過去の栄光にとらわれるばかりであり、具体性がありません。「おもろいこと」を発展させていくと考える事で個々のするべきこと、目指すことの幅が広がると思うのです。目指すゴールは人それぞれです。勿論、節度は必要ですが、好きなように振る舞い、好きなように作品を発表することが次に繋がると思います。
 各々の活動がイベントを作り上げます。本を作る人、読む人、生活する人、遊ぶ人、泣く人、笑う人。様々な形で自立する個人がイベントを作り上げていきます。文学フリマ大阪はその場を提供する存在です。
 ご縁があって継承が危ぶまれていた「傀儡舞」を多くの人に知って貰う為に、イベント内で舞を奉納して頂いている理由もそこにあります。
 停滞は緩やかな衰退を招き、流動は生々発展の可能性あれど大きなエネルギーを必要とします。それはとてもしんどい事ですが、我々は一人ではありません。常にどこかで誰かと刺激し合い支え合って生きています。
 私も文学フリマ大阪の為に、私個人の為に動いてくれる人たちと出会い、初めて気がついたこと、やる気を得たことが沢山ありました。

 文学フリマと皆様の発展を願って、今回の表紙は出世の象徴でもある千成瓢箪を掲げました。
 文学フリマ大阪は挑戦します。
 勿論、課題は出てくるでしょう。物書きが壁にぶつかるのと同じように。
 心折れる日もあると思います。それでも尚、ひたむきに文学に挑む方々と共に文学フリマ大阪は歩み続けます。
 それぞれに大いにおもろい時間を共有できることを祈っております。
 

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