本日から開催まで不定期ながら文学フリマ大阪事務局スタッフによる10周年記念ブログリレーを開始します。それぞれの視点で文学フリマ大阪について書いた記事をアップロードしていきます。第一回目は代表の髙田よりお送りします。
10周年に合わせて長文を書いていたのですが、そのまま載せることは憚られ、かなり短縮して書いています。長いものは回顧録として後年出ればいいかなぐらいに考えています。今回、記事を書くにあたって色々と振り返りましたが、思ったほど細かい記録を残しておらず、毎回こと細かに何があってどう思ったかぐらいはメモなりしておくかとなった次第です。
反省はさておき、10周年を迎えて思うことは皆さんへの感謝です。出店者、スタッフ、関わった多くの方々、いつもありがとうございます。
文学フリマ大阪が10周年を迎えられたのも皆さんが皆さんの血と汗と何かを吸った作品を持って参加してくださったことに尽きます。
第一回では
「頑張って続けてください。開催してくれてありがとうございました」
という声をかけて頂き、握手まで求められました。そのことは今でも燃料となって私を動かしています。
「関西にも文学フリマを」
と思って、すぐに動いた向こう見ずな20代半ばの私は30代半ばになりました。その間に2回死にかけたりして、多くの人を心配させたりしました。ようやく健康とか自分を大切にするようになりましたね。
慣れていないことや苦手なこともあり、思い出すと飛び散りたくなる出来事も思い出されます。
文学フリマ大阪は予想以上の発展を遂げてきました。
「堺で10年ぐらいやってから会場変更かな」
ぐらいに思っていたら、5年でいっぱいになりましたし、最初の懇親会でも30人ほどを見込んでいたら90人ぐらい来て泣きましたね。
出店者数の増加は文学フリマが各地に広がり、百都市構想の発起と拡大によった影響を受けてきました。
堺の会場は東京代表が選定した場所です。
最初聞いた時は
「なかもずぅ?」
って思いましたよ。
乗り換えで使うぐらいの駅という印象しかありませんでしたから。
しかし、御堂筋線で一本、遠征組も分かりやすい、会場も駅近な上に安いほうと聞けば納得いく理由でした。
後で知ったことですが、堺の会場は近所の人も散歩に来る場所で、物販のイベントは売れるということで有名なようです。もちろん、公共施設だけにちょっとだけ不便なところもありましたが。
現在のOMMビルはリバービューで開放感がありますね。
そろそろB・Cホールでは手狭になってきましたので、10周年を終えた後のことも考えていかなければなりません。
私自身も作品を書いてはどこかで発表する身分でありますから、10年の間に見なくなった人もいて寂しく思ったりします。今はお休みしている方も、また書けるようになった時に戻ってこられる場としてあり続けます。
次の10年を迎えるためにも、イベントを長く続けるための施策もしていかなければなりません。
考えることや、やっていくことはたくさんありますが、これからも文学フリマ大阪の成功のために全力で運営し、会が終われば一杯飲んで次の開催へいくスタンスで精進してまいります。