文学フリマ大阪10周年記念 スタッフ投稿リレー3 もう一人の副代表より

 明日はいよいよ出店案内発送です。無事に準備は整いました。出店者の皆さんはもう少しお待ちください。
 さて、今晩はもう一人の副代表からの投稿です。
 文学フリマ大阪開催前夜について書いてくれました。これを知っている人は限られていますね。開催の少し前なので、10プラスα年の話になります。
 そんな彼も本日入籍したそうです。
 ちーたん、ご結婚おめでとう。

 この企画で文章を書くにあたって、何を書こうかと机に向かっている。
 うーん、やっぱりこれしかないかなと思う。文学フリマが大阪で開催される、その始まりの話。ぼくはこの話の語り部として高田代表の次にふさわしいと自負している。あくまで自負。でも、少しだけ聞いてくれたら嬉しい。ただ、10年近くも昔の話でもあり思い出は美化されてしまうもの。事実とは異なる描写もあるかもしれないが、大きく間違ってはいないと思う。
 話はぼくの大学入学まで遡る。何故? と思うかもしれないが、少し我慢して読み進めてほしい。ぼくは地元を離れ、大阪のある大学に入学した。大学入学の時期といえば、サークルの新入生勧誘だろう。この文章を読んでいる大学生(もしくは元大学生)の多くがそうであるように、その頃のぼくは文芸サークルに入るつもりだった。大学の大通りには机が並べられ、色々な部活やサークルが新入生の勧誘に勤しんでる中、文芸サークルを探して学内をうろうろしていると、見つけた。机の上にサークルの情報を掲示し、周りに声をかける様子もなく、一人椅子に座っている眼鏡の小柄な男性。これがぼくと高田代表の出会いでだった。
 話を聞きたいと声をかけると、まさか話しかけられるなんてといった様子だったが丁寧に説明してくれた。どうやら彼が部長であるらしい。ひとしきり説明を受け、他のサークルも見てみたかったので、連絡先を交換してすぐに立ち去った。
 電話がかかってきたのはその数日後だった。新歓コンパをするので来てほしいとの連絡だった。まだ友達もおらず暇だったので即答で了承し電話を切った。ああ、これが大学生になって初めての飲み会か、と思ったのを覚えている。待ち合わせ場所に行くと、サークル説明をしてくれた小柄な男性と二人の男性が待っていた。その場で簡単な自己紹介をして、二人の男性はサークルの先輩であることがわかった。
 電車で40分くらいの繁華街にいつも行っている店があるというので、そこへ向かう。小洒落た英国風パブに入店し、おすすめのビールを飲みラム串を食べたように記憶している。念のため記しておくがここまでの登場人物はすべて成人している。本当に。
 趣味はなんだとかどんな作家が好きだとか、そんな話をしたように思う。先輩たちは当然のようにぼくに支払いをさせずにお会計を済ませ、慣れない土地だろうと駅まで送ってくれ、まさか帰りの電車の切符まで買ってくれた。ここまでされたら仕方ない。ぼくはこうして入部することになった。
 このサークルは主に文芸誌を作り、年に数回の即売会で頒布することを目的としていた。ぼくは掛け持ちで入った別のサークルの活動もあったので、熱心に活動する部員ではなかったが、それでも定期的に開催される会議には出席したし、放課後に空き教室でだべる先輩たちと遊ぶのは楽しかった。
 ある時、出店者に漫画サークルが多い同人誌即売会での文芸サークルは肩身が狭いといったような話になった。ぼくは随分前に読んだ雑誌『新現実』(大塚英志さん、東浩紀さんが編集していた文芸誌)にお知らせがあった文学中心のイベントのことを思い出し、こう伝えた。
「東京では文学フリマというイベントがあるらしいですよ」
 と。
 文学フリマのことを知った高田代表の行動力はすごかった。
 まず一般参加者として東京に向かった。そこで文学フリマの雰囲気を知った彼は、大阪で開催する予定はないか、あるのであればサポートしたいといった旨のメールを主催者である望月代表に送っている。そのことが文学フリマが大阪で開催されるきっかけになったのは間違いないだろう。
 ぼくはそんなことになっていることなどつゆほども知らず、高田代表とは彼が大学を卒業したので、たまに学外での交流を持つのみになっていた。ある日、彼から連絡が入った。
「森くん、大阪で文学フリマをするかもしれない。文学フリマの代表と話をするから東京にいかんか」
 ぼくは驚いた。まさかそんなことになっているとは。だがしかし面白い。即答で了承した。
 当時、すでに社会人として働いていた高田代表は新幹線で、貧乏学生のぼくは高速バスで東京へ向かうという格差を感じながら、新宿で望月代表と待ち合わせたことを覚えている。そこで何を話したかはあまり覚えていない。ただ、本当に大阪で文学フリマをやるのだな、と実感したことをぼんやり記憶している。
 第一回文学フリマ大阪は東京事務局主催で開催された。そこで大阪事務局チーム(主に高田代表)はノウハウを教えてもらい、次回の独自開催を目指した。ぼくはというとほとんど何もしていないが、第一回目の開催でボランティアスタッフが少なかったので、大学の後輩を招集して当日のスタッフとして協力してもらった。後にも先にもぼくが文学フリマ大阪事務局に貢献したのはこれだけかもしれない。そこから先は皆さんもご存知の通りだろう。参加してくださっている皆さんのおかげで10周年を迎えることができた。本当に感謝している。
 ぼくは現在、仕事の都合で東京に住んでいるため東京開催のお手伝いをすることもある。ただ、ぼくの帰属意識はいつも大阪事務局にある。文学フリマで自己紹介する際は必ず、大阪事務局のスタッフです、と言う。あの日、大学で初めて酒を奢ってくれた高田代表にはまだまだ付いていくつもりなので、よろしくお願いしますね。代表。